犬知一派據點

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慶次相關逸話

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發表於 2015-8-23 16:19:32 | 顯示全部樓層 |閱讀模式
"寒中、利家を水風呂へ入れる

 天正の末年頃は豊臣秀吉が一応天下を統一してちょっと少康状態を得ていた時で叔父の前田利家は益々秀吉に重用され、徳川家康に次ぐ威望を持っていた。叔父の利家は慶次郎が常日頃世を軽んじ人を小馬鹿にする悪い癖のあることを知り、口やかましく之を誡めていたのであるが、慶次郎にしてみると之が馬鹿馬鹿しくて面白くない、どうしても我慢ができない。何とかして四角四面の顔をしてる叔父の鼻をあかしてやりたい、色々と思案をこらしたあげく、ある時利家の御前に出て、
「さて私もこのたびは叔父上にご心配のかけ通し申し訳もありませんが、これからは心を入れ替え、まじめな人間になりたいと思います。ついては粗茶一服差し上げたく何日の何の刻、私宅にお出でをお待ち申し上げます」
 と申し入れた。これを聞いて利家も大に喜び
「さては慶次奴も心を入れ替えたか、もとより文武の道に優れ、人間も馬鹿でない彼のこと、もう少し真面目の人間にさえなってくれたらこの上ない頼もしい奴である」
 と当日は約束の刻限にいそいそとして慶次郎の家にいった。慶次郎はうやうやしく叔父を出迎え上段の間に招じ入れた。元来慶次郎は文学を好み、和漢に通じ源氏物語や、伊勢物語などの古典にも通じ歌道にも優れていた。またその頃流行った連歌を紹巴(しょうは)に学び、茶道は古田織部に受け、かつ乱舞にも長じていたというからその才能も窺い知られる。

 まず、利家卿に対し謹んで茶を献じ、さて慶次郎が申すには
「今日はことのほか寒うございます。これから一献差し上げたいと存じまするが、それに先立ち一風呂お召しになっては如何でございますか、丁度加減もよろしいようでございます」
「そうか、それはよく気のつく事じゃ、この寒空に何よりの馳走じゃ」
 と言いながら利家は案内を連れて直に風呂場で下り立ち、くるくると衣服を脱いで素っ裸となった。ガラリ戸を開けて、中へ入ると、湯加減と思いきや、氷の如き水がなみなみとこしらえてある。しかも窓の裂け目から寒風が遠慮なく吹き込む始末。さすが温厚の利家卿も怒り心頭に発し、
「慶次奴を逃がすなッ!」
 と供侍の家来ともにどなった。一方慶次郎はその時、裏口につないでおいた松風と称する駿馬に鞭うって逃れ去りそのまま行方不明となってしまった。慶次郎には家も妻も子も一切眼中になく、ただただ野放しの自由の天地が欲しかったのだ。四角張った叔父利家の前にかしこまっているのが嫌で嫌でたまらず、とうから見切りをつけていたのであるが慶次郎も人間である以上、この人間の枷の中から抜け出ることが一寸困難であったろう、叔父の利家が決して憎いわけでもなく又嫌なわけでもないが、せせこましい檻の中に生息することがどうしてもたえられなくなったのであろう。叔父にはこれまでさんざん厄介になった、いま訣別するにしても何がな置き土産が必要である。そこで寒中、叔父を素っ裸にして手をうって喜んだわけである。まことにたわいないいたずらであった。"


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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:19:38 | 顯示全部樓層
"駿馬「松風」

 慶次郎の落ち着く先はやはり京都であった。京都はその頃日本政治の府である。天下の第一人者太閤秀吉を始め、これに次ぐ徳川家康や前田利家、毛利輝元、上杉景勝、伊達政宗、最上義光などの偉い奴達の屋敷が京都に置かれている、慶次郎は敢えて世の中をはかなんで深山の奥や寺の中にこもって遁世生活(とんせいせいかつ)をしようとするのではない、只々しゃじこ張った裃を脱いで、自由奔放の天地にのびのびと生息したいのである。このためか、彼は人の最も多く集まる場所へ出て何かいたずらをしてみたいのである。

 彼が京都へいちおう出るのは前々からの志望であったろう、京都へ出た彼の懐中には若干の貯えがあったことは勿論であろう、叔父の下に居た時は数千石を領する身の上である。少し心掛ければ相当の貯えが何でもないことであった、そして国元へ置き去りにしてきた妻子はまさか餓え死する心配はない、それほど無慈悲な叔父利家ではないからである。

 京都の一隅に仮の宿を決めた慶次郎は愛馬松風だけはどうしても左右から離さなかった、そしてニ、三人の別当を雇って朝夕馬の手入れを怠らない、そればかりでない、この名馬に贅を尽くした馬具を付けさせ、いと自慢げに市中をひき回し夕暮れになると加茂川のへりへ出て馬を洗いながらその頃流行った「幸若」と称する唄を節面白くうたわせ、唄の終りには必ず「前田慶次が馬にて候」と付けさせるを常とした。名利を土芥(どかい)の如く卑しんだ慶次郎にしてはこの馬ばかりはよほどの自慢だったらしい。"
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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:19:44 | 顯示全部樓層
"脇差をさしたままで湯へザンブ

 慶次郎は毎日が退屈で仕方がない、何か面白いいたずらがしてみたくてたまらない。彼は毎日夕刻になると付近の風呂屋へ行って入浴するのを常とした。その付近は諸国より集まった大名の屋敷があり、その大名に仕える家来共が数あまた居てこれまた毎晩入れ代り立ち代り入浴にやってくる。何れも戦場で玉薬の臭いをかぎ前きずだか一つ二つは持っていようと云う武骨な輩である。されば彼等が寄る所は必ず戦場の自慢話、やれ敵の大将を突き伏せたとか兜首を幾つ取ったとか有りもしない手柄話が持ち出される。

 慶次郎は何時もこれらの輩に自慢話を聞かされるのがおかしくてたまらず、あるとき褌(したおび)の上に脇差を一本ぶち込みそのままザンブと計り湯の中に飛び込み、ただ黙ってジロリジロリあたりを見回わしている。何とも得体の知れない変な男である。馬鹿か気狂かわけが分からず脇差をさしたまま風呂へ入るとは古今未曾有である。しかも其の相貌を見れば人品骨柄卑しからず一癖も二癖もありそうな武士である。力自慢の田舎武士共にとってはこの傍若無人の慶次郎の態度が癪にさわってたまらず、さればと云ってこちらから進んで喧嘩を仕掛けるのも何となく空怖ろしい気もする、そこで彼等もひそかに語り合った結果この上は致し方がない我々も脇差をさして湯に入ろうと相談が一決した。

 翌晩から彼等はそろって脇差を帯して湯に入ることとなった。慶次郎はいつもの通りの姿である。そして頃合を見計らって湯から上がって流し湯に腰を下ろし脇差を腰から脱して鞘を払った。すわ事こそ起これり、武士共は一斉に湯から出て互いに目配せして抜き合わせようと身構えた。慶次郎はと見ると顔色一つ動かさず、くだんの抜き放った脇差の中身をスネや足の裏にあて丁寧にゴリゴリ垢を落としている。真面目くさってにこりともしない。よく見ると件の中身は真剣にあらず竹光であった。竹光をもって足の皮をこするとは成る程うまい趣向である。武士共は今更怒るにも怒られず、眼を見合わせてパチクリさせているばかり、掛け替えのない真剣の脇差をあたら湯へ入れて台無しにしてしまった。いたずらにしては随分お念が入りすぎている。"
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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:19:51 | 顯示全部樓層
"この足、百貫文なり

 慶次郎が京の室町通りをぶらり歩いていたとき、呉服だなの店先で、大柄のしかもでっぷり太った主人が片足を店先へ投げ出し、脇の者と雑談しているのを目にした。積まれた反物の間にあるこの足は、買物しようとする人にとって邪魔でしかたがない、みな困り果てていた。

 慶次郎は店に入ると
「おやじ、この足も売物だろうな。この足買いたいのだ」
 と言った。主人はえへらえへら笑いながら
「百貫で売り申す。」
 と言う、
「よし、買った。」
 と力を入れてひざ小僧をおさえつけたからたまらない。主人は足を抜こうにも抜けずにいる。
 慶次郎は小者にいった。
「この足を百貫文で買ったのだ。金を取ってまいれ。おれはこの脚を斬ってさらしてやる。この迷惑な足百貫文也と立札たててな。」

 この言葉に主人は身体を震わせ、ついに泣き喚いた。群れている人は誰も助けようとしない。騒ぎを聞きつけて町役人がかけつける。町奉行もかけつける。やっと、町中の詫び言で一件落着となった。それ以来、京では足を投げ出すことは禁制になったという。"
>"この足、百貫文なり
>
> 慶次郎が京の室町通りをぶらり歩いていたとき、呉服だなの店先で、大柄のしかもでっぷり太った主人が片足を店先へ投げ出し、脇の者と雑談しているのを目にした。積まれた反物の間にあるこの足は、買物しようとする人にとって邪魔でしかたがない、みな困り果てていた。
>
> 慶次郎は店に入ると
>「おやじ、この足も売物だろうな。この足買いたいのだ」
> と言った。主人はえへらえへら笑いながら
>「百貫で売り申す。」
> と言う、
>「よし、買った。」
> と力を入れてひざ小僧をおさえつけたからたまらない。主人は足を抜こうにも抜けずにいる。
> 慶次郎は小者にいった。
>「この足を百貫文で買ったのだ。金を取ってまいれ。おれはこの脚を斬ってさらしてやる。この迷惑な足百貫文也と立札たててな。」
>
> この言葉に主人は身体を震わせ、ついに泣き喚いた。群れている人は誰も助けようとしない。騒ぎを聞きつけて町役人がかけつける。町奉行もかけつける。やっと、町中の詫び言で一件落着となった。それ以来、京では足を投げ出すことは禁制になったという。"
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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:19:58 | 顯示全部樓層
"天下御免の傾奇者

 利家の甥御に評判の傾奇者慶次郎がいることを知った秀吉、ぜひ会いたいと思った。

 召されて聚楽第に入った慶次郎の異様な風態にみな息をのんだ。虎の皮の肩衣に袴もまた変わっている。それにもまして驚いたのは、慶次の結った髪型である。髪の毛を片方に思いきって寄せ、そこにまげが横に曲って立っている。

 慶次郎は臆することなく御前に進むと、秀吉に向かって平伏した。慶次は皆がやる額を畳にすりつけることはしない。頭を横に寝かせるのである。こうすることによってまげは真っ直ぐに立つ。顔をみる限り慶次郎は平伏しているし、顔は横を向いているから並みいる諸大名にも挨拶しているようにも見える。

 秀吉は「何とも変った男ではないか」と笑われ、「ほうびに馬をとらせる」といわれた。慶次郎は、
「かたじけのうござる。されば半刻お待ちいただきたい」
 といって退席すると、装束を直し、髪も常に結び直し、上下衣服を改め御前に出て、御馬を拝領するのである。そこには傾奇者の姿はなかった。
「気に入った。今後どこでも、心のままに意地を立て通せ、予が許す。」
と、天下御免の傾奇者となったのである。"
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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:20:04 | 顯示全部樓層
"上杉景勝公に惚れ込む

 慶次郎が京都にいた時分、天下人豊臣秀吉が館、伏見邸(あるいは大坂城)にてあるとき諸国から名だたる大名を招き、一夕盛宴が開かれた。元来無遠慮な慶次郎はどこをどう紛れ込んだかこの席の一員として連なっていた。宴まさにたけなわ、末座の方から猿面をつけ手拭いで頬被りをし、扇を振りながら身振り手振り面白おかしく踊りながら一座の前へ踊り出る者があった。これなんと、前田慶次郎であった。並んでいる大名たちの膝の上に次々と腰掛け、主人の顔色をうかがい、いかにも人を食った態度である。もとより、猿真似の猿舞の座興であるから、誰一人として咎める者もなく、怒り出す者もいなかった。

 ところが上杉景勝公の前へ来ると、ひょいと公を避け、次の人の膝の上へと乗っていった。後で慶次郎が人に語っていうには「天下広しといえども、真に我が主と頼むは会津の景勝をおいて外にあるまい」景勝の前へ出ると威風凛然として侵すべからずものがあったので、どうしてもその膝に乗ることができなかったということが伝えられている。おそらく、表裏反覆常ない戦国時代のこと、こんな時代にあっても蔭も日向もなく心から我が信頼する人の為に義を貫く精神に満ちている武士らしい武士は上杉景勝ただ一人あるのみと見込んでいたものに相違ない。"
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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:20:08 | 顯示全部樓層
"景勝公に仕う

 京都にて、したい放題の日々を送った慶次郎は他藩にその名が広く知れ渡っていたので、度々仕官話が持ち上がっていた。その申し出をことごとく断り、かねてより学問好きな直江山城守兼続を通じ景勝公へ仕官を求めた。その際、禄高は問わない、ただ自由に務めさせてほしいと云った。かくして彼は一千石の禄を与えられ、組外御扶持方(くみほかごふちかた)の組頭として仕官することになった。

 元来、この組外御扶持方というのは変わり者の集まりであったから、変わり者の集まりを大変わり者がまとめるということになったわけである。もとより彼はこの職務に熱心であるはずがなく、第一会津へやって来て始めて景勝公に御目見得したときには、既に剃髪し黒色の長袖を着用して穀蔵院ひょっとこ斎と称していた。そして土産として土大根三本を盆にのせ差し出したのだった。彼が申し上げるには「私奴はこの大根のように見掛けは如何にもむさ苦しゅうございますが、噛み締めれば良い味が出てまいります」と真面目な顔でいう。はたしてこの大根の味の意味は最上陣での活躍ぶりで示されたという。"
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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:20:14 | 顯示全部樓層
"素袍にシラミ紋(白いうわぎ)

 城中で改まった儀式があった。みなが正装して御前に出るのに、慶次郎は無紋の素袍を着て登場する。驚いた面々が
「これこれ前田殿、ご貴殿着用の素袍だが、紋のないのはどうしたことでござるか」
と尋ねると、慶次郎はすまして
「紋はあります。とくとご覧あれ」と答える。
 どれどこにと傍に寄って見ると、なんと、ちっちゃな動物の格好をしたものが付いている。
「一体これは何でござるか」と問うと
「それはシラミでござる。」
 とこともなく答える慶次郎である。素袍にシラミの紋とは、見る者あいた口がふさがらないばかりか、果ては腹をかかえて大笑いするのであった。"
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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:20:19 | 顯示全部樓層
"われは不便者なり

 前田慶次郎出陣の指物は、白地に大ふへんものと書いてあった。周囲の武辺共は、
「われらとて、戦さ場で武辺をあげた者、決して慶次郎殿にひけはとらない。そなただけ大武辺者とは一体どうしたことか。」
といってとがめた。
 慶次郎が笑いながら言うに、
「これは大不便者と読むのじゃ、わしはもとより浪人だった身、残念ながら金銀がないから、みんなのようにいい格好はできない。だから大不便者、仮名の清濁まちがって読んでもらっては困る。」
これには返す言葉のない武辺者である。"
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 樓主| 發表於 2015-8-23 16:20:24 | 顯示全部樓層
"朱柄の槍

 慶次郎は出陣にあたって朱柄の槍を携えていた。この朱柄の槍は武功のあった者にのみ許される公認のものだったのである。しかし、慶次郎はこの公認を受けていない。
 そこで水野藤兵衛、韮塚理右衛門、宇佐美弥五右エ門、藤田森右衛門がかみついた。
「われらは長年ご奉仕し、それぞれに戦功をあげているのに、いまだかつて朱柄の槍を持つことは納得がいかない、どうかわれらにも朱柄の槍を持たせてもらいたい。さもなくば、慶次殿の朱槍を止めてほしい。」
 兼続の意見にも聞く耳もたない連中である。これで慶次郎にも他の四名にも改めて朱柄槍御免ということになった。この連中は、最上戦の退却にあたり大あばれした者たちである。"
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